最近、改めて映画を見ながら思ったことがあります。
これからの時代、価値があるものって何なんだろう、と。
映画は「ストーリーを体験するもの」
映画って不思議ですよね。
映画そのものは「モノ」ではありません。
もちろん映像というコンテンツはありますが、私たちがお金と時間を使って映画を見る理由は、映像データそのものが欲しいからではない。
ストーリーを体験したいからです。
これは映画だけではありません。
漫画もそうですし、旅行もそう。
遊びに行くこともそうです。
「そこへ行った」
「こんなものを見た」
「こんなことが起きた」
そういうものを全部含めて、私たちは体験を買っているんだと思います。
モノと情報があふれるほど、体験が貴重になる
今は、モノがものすごく豊かになりました。
情報もいくらでも手に入ります。
映画だって家にいながら配信ですぐ見られる。
漫画もスマホで読める。
文章だって生成AIを使えば大量に作れる。
だからこそ、逆に希少になるものがあります。
それが、
「自分が実際に体験したこと」
です。
例えば、どこかへ旅行したとします。
ネットで検索すれば、その場所の写真なんていくらでも出てきます。
生成AIに聞けば、その場所について詳しく説明してくれるでしょう。
でも、
「実際にそこへ行ってみたら、こんな感じだった」
という経験だけは、自分のものです。
「どこへ行くか」以上に「誰と行くか」
そして面白いのは、体験には「誰と」という要素まで入ってくることです。
どこへ行ったかだけではない。
誰と一緒に行ったのか。
何を話したのか。
何がおかしかったのか。
何を感じたのか。
同じ場所へ行っても、一緒にいる人が違えば、まったく違う体験になります。
そう考えると、人間が求めているものって、単純に便利なモノだけではないのかもしれません。
映画を見て感動する。
漫画を読んでワクワクする。
誰かと出かける。
おいしいものを食べる。
旅行する。
そうした出来事が積み重なって、自分の中で一つのストーリーになっていく。
人間はもしかすると、自分の人生のストーリーを作るために、いろいろな体験をしているのかもしれません。
商売も「何を売るか」から「どんな体験を提供するか」へ
これは仕事について考えても面白いです。
お客様に提供しているものも、商品やサービスそのものだけではありません。
例えばリラクゼーションサロンなら、「60分の施術」を売っているように見えます。
でも、本当に提供しているものはそれだけでしょうか。
疲れて店に来て、個室に入る。
日常から少し離れて、身体をほぐしてもらう。
スタッフと少し話したり、逆に何も話さずぼーっとしたりする。
そして店を出たときに、
「ああ、ちょっと楽になったな」
と思う。
これも一つの体験です。
だから、これから商売を考えるときにも、
「何を売るか」
だけではなく、
「どんな体験をしてもらうか」
という視点が、ますます重要になっていくのではないかと思います。
生成AI時代だからこそ「自分の体験」が価値になる
そして、この話は生成AIにもつながっています。
これから情報はいくらでも作れるようになります。
文章も作れる。
画像も作れる。
動画も作れる。
それっぽいものを作ること自体は、どんどん簡単になっていくでしょう。
だからこそ、
自分が何を見たのか。
何をやったのか。
誰と過ごしたのか。
そこで何を感じたのか。
そういうものの価値は、むしろ上がっていくのではないでしょうか。
情報ではなく、自分のストーリーを増やしていく
生成AIがどれだけ進化しても、自分の代わりに人生を体験してくれるわけではありません。
旅行先について100ページ調べることと、実際にそこへ行くことは違います。
映画について詳しい解説を読むことと、実際に映画を見て何かを感じることも違います。
誰かについて知ることと、その人と一緒に時間を過ごすことも違います。
情報があふれるほど、体験が価値になる。
そして、その体験が積み重なることで、その人にしかないストーリーができていく。
これから生成AIが当たり前になればなるほど、私はむしろ、そういう「自分で体験すること」を大事にしたいなと思っています。
自分で見て、自分で感じて、自分で考える。
そうやって自分自身のストーリーを増やしていく。
最近映画を見ながら、そんなことを改めて考えました。
